身近と共感に惹きつけられる小説の秘密はファミリーマート
“身近さ”とは不思議なものだ。
途端に小説世界の中へ私を誘い込み、
友達の話を聞いているかのような
妙にリアルな映画を見ているかのような
そんな気持ちになる。
文章の中で突然身近さにつつまれる瞬間…
その条件にほんの最近気がついた。
なんだ、そんなことかと思われるかもしれないが、それは「具体的な固有名詞」が登場するとき、なのだ。
例えば、コンビニエンスストア、じゃなくてファミリーマート、とかさ。
もちろん、ストーリーが身近に感じられる一番の所以は作家さんの筆力であることは言うまでもないが、よくなじんだお店の名前なんかを目にすると、ぐっとその身近さが増すように私は感じてならない。
映画が話題になった角田光代さんのこの小説を読んでいて、ふ、とそんなことを考えたのだ。
合コンで知り合った“マモちゃん”に首ったけなテルコは、いつまで経っても恋人にしてもらえないのに淡い期待(濃ゆい期待)を持ち続け、次第に自分の生活ペースを犠牲にするようになる。
大それたことが起こるでもなく、
淡々と溺れてゆくテルコの姿が丁寧に描かれていて、マモちゃんも素晴らしいくらいに得体が知れない。
こういう男にハマったが最後、
もう底なし沼なんだよなーっと
物語全体が共感を求めてくるようで、あっさり乗っかった。
ファミリーマートの店内は、涼しくて、通りにひとけはまったくないのにそこそこ混んでいてほっとした。キャミソール姿の女の子と、秋物のニットを着た女の子が雑誌コーナーで立ち読みをしている。
そこにこんな文章で。
あれっ、私の過去を回想してるんだっかと思うほど突然身近に感じてくるから不思議。
コンビニ、とだけ言われるより
あの緑とホワイトの看板や、たらりらたりーらたりらりらー♪といつもご機嫌に流れるあの音楽なんかがイメージされるとグッとリアルだ。
夢中でページをめくった。
テルコのマモちゃんへの愛の答えも知りたかった。本物か?はたまた熱にほだされているのか?
愛がなんだ。
テルコとマモちゃんの関係は
愛とは別次元にあったのかな。
好きだから、なんだか分からないけど心の底から好きだから、愛なんて関係ない。
なんとなく懐かしいような
ほろ苦いようなそんな気持ちになって、
ああこの本が好きだな、と思った。
身近さを感じられて嬉しくも思った。
前回の記事に書いたアフターダークも、
ちょくちょく固有名詞が登場する。
リアルさ、身近さ、生々しさのようなものを感じられて読み終えた後夜景を見たくなった。
あの光の1つに、
マリやコオロギたちがいるんだろうな、って
なんの違和感もなく思えたから。
愛がなんだ、も
どちらも自信を持っておすすめする小説。
秋の始まりのお供に、ぜひ。
固有名詞が入ると急に身近さが色濃くなる、
なんて独り言でした。